大人になって幼馴染と再開すると、あの頃の思い出が色鮮やかに甦ってくる。楽しかったコト、ほろ苦かったコト、良くも悪くも大人になったからこそ語れるコトがある。同窓会とか同級会とは距離を保ちたいけど(筆者だけだろうか)、仲良しだった2〜3人もいれば心もいっぱいだ。ミドルミス怜さんと齊藤陽介さんは、インスタグラムの最初の投稿見ると、それはそれは!かわいい姿で愛嬌たっぷりの笑顔。見るからに微笑ましく、ちょっとやんちゃな青春時代(といっても幼い頃ですが)だったコトでしょう。

「ずっと一緒に遊んでいましたね。仲良すぎと思うくらい。遊びも仕事も暗黙の了解で棲み分けされているというか、声に出さなくても通じていると思いますが…そんなコトないかなぁ?」(怜さん)

「ずっと一緒。怜が言う通り、仲良すぎで(笑)阿吽の呼吸なんですよ」(陽介さん)

怜さんはイギリスと日本のハーフ。とはいっても「英語も、フランス語も、私の見た目からしてペラペラ話せる見た目ですが…全然ダメっすね(笑)」の通り、キレイな日本語である。いつも打ち合わせで見かけるパソコンには各種業界のステッカーが貼られていて、ん?よく見るとササダンゴ商会のステッカーが!怜さんの趣味趣向を感じさせる。
一方、陽介さんは集中力が高いというか、考えるスピードが速いというか。この先の展開において相手よりもちょっとだけ先回りをして構えているという対応。だからこそ理解力も行動力もある。そうしたチカラはどこから湧き出てくるのか不思議になるけど、話している瞳を見ればすぐわかる。いろいろな人や業界とのやりとりで人一倍努力をして自分を磨いてきたに違いない!「そんなコトないっすよ(笑)」

ふたりは、幼い頃から今になるまでずっと一緒。怜さんのコメントの通り、職場も同じだったことから自然と役割が決まってきて、それぞれが自分の道を極めようと動いてきた。

 

ParisのクラウンバーとNYのブランカと聞いただけで興奮するワケ

怜さんが料理の世界で最初に入ったのは居酒屋だった。飲食店とは何ぞや!という基本のキから学び、調理から接客に至るまで一通り習得。どちらかというと職人寄りに傾注していき、技術的なノウハウを蓄積していった。数年後には系列店立ち上げスタッフに抜擢され店長に就任。調理だけでなく、接客、売上管理、仕入れ、スタッフのシフト調整、集客戦略…という店舗経営=マネジメントを任された。もちろん、新人やアルバイトに仕事を教えつつ自己研鑽しなくてはならない環境において徐々に疲労も蓄積されていった。

「見た目は元気そうですけど、決して本音は出しません。それでも気が付くんですよ、幼馴染ですから。言葉にしなくても、出ちゃってるし(笑)」(陽介さん)

そのまた数年後、たまたまパリへ旅して日本へ戻るシャルル・ド・ゴール空港にて突然の行動に出る。なんと、渥美創太シェフのお店へ連絡し、働かせてくれないかと直接頼んだのである。渥美シェフといえば、フランスで新進気鋭のシェフとして要注目の人物であり、フランス料理の新時代を築くシェフとまで言われている超×100くらいの逸材である。そんな渥美氏への直電!なんという行動力だろうか。

「とりあえずお店に来てくださいと言われて面接があって、じゃあ翌日からということで働き始めました。お店?クラウンバーです。フランス語はもちろん!話せませんでしたけど(笑)」

クラウンバーである!あのクラウンバーだって!? 何度も言いますけど、クラウンバーなんですって!で、渥美シェフ!なんということでしょう。この衝撃度、ハンパないです。

「Instagramで料理を見てからずっと憧れていました。その世界を目の前で体感できて、最先端を学べましたから、刺激的な毎日を過ごせました。なにせ居酒屋の経験だけだったので最初は苦労しました。段々と自分でも少しづつできるようになって、日々忙殺されながらも働くことが楽しくなって、『イノベーティブ・フュージョンってこういう世界なんだ』と肌で感じられるようになりました」

フランス語が話せなかったとしても、環境への適応能力がずば抜けている怜さん。あっという間に日常会話もできるようになった。「コトバって難しいんですよ(笑)」

そのまたまた数カ月後、さらに驚きのイベントが起こる。今度は渥美シェフの知人であり、ニューヨーク・ブルックリンにある『ブランカ』のシェフCarlo Mirarchi氏とのイベントにも関わることとなった。Carlo Mirarchi氏は、ニューヨーカーも認めているシェフで、『ブランカ』はニューヨークで一番美味しいピザを味わえる『ロベルタス』を併設しているレストランである。そんなふたりのコラボレーションの場に怜さんは同行することとなった。

「アメリカンってこういう感じなんだって分かりました。パリとは違う世界観ですが、共通して言えるのはパリとニューヨークは世界の食の流行の真ん中、つまりこの2都市がフードカルチャーを牽引しているというコトでした」

昔、とある政府機関の所長から「食関連でグローバル展開するならパリとニューヨークのカルチャーは見た方がいい。パリジャン&パリジェンヌとニューヨーカーに認められれば世界中に受け入れられる」と言われたことがあった。怜さんはこの2都市を、しかも星付きの超有名レストランのシェフの下で働いていたワケだから…『SAISON』がどんなパフォーマンスをするのか気になりますよね!

 

子供の時から学んできた、知恵と工夫の大切さ

陽介さんはこれまた変わった経歴である。実は、まったくと言っていいほど飲食業界とのつながりはなく、幼少期はスポーツ少年であり、オーケストラのメンバーでパーカッション担当だった。オーケストラの演奏は社会人になっても続いているという。

「そういえば、野球も、サッカーも、バスケットも、何でも得意な少年でしたよ」(怜さん)

食の業界人に入ったきっかけは、怜さんが勤めていた居酒屋のお客さんだったコト。気が付いたらアルバイトをしていて、怜さんがフランスに行くとのことでオーナーから店長をしないか?と言われて正社員になって、黙々と唐揚げを美味しく仕上げていた。唐揚げ職人23歳である。

「まさか接客業をするなんて思ってもいませんでした。どちらかというと寡黙で、人と話すのを避けてきて、物静かなタイプ(笑)いや、内弁慶(苦笑)」

しかし、陽介さんの適応力はずば抜けていて、あんなに苦手意識のあった接客が真逆の「得意→好き→むしろ接客したい→お話しサイコー!」となった。なんでこんなスピードで苦手なものが大好物になったのか聞いてみると、ルーツは家庭環境にあった。

「陽介は両親の教育方針ですよね。自分で何とかしようとする知恵というか、考える力がしっかり持てるような子育てだったと思いますよ。知的好奇心も高くて、これはスポーツだけでなくてパソコンとか、興味あるモノ・コトはすごく前向きにやっていたし。あれは独特だけど振り返ってみればさすがお父さん!お母さん!って感じですよ」(怜さん)

「自分の中のアイデアをカタチにするって苦手なんですよ。なので、怜を支える立場が適任かなって思います。もちろん、唐揚げのテクニックはずば抜けていると思いますからお任せください(笑)」 怜さんが生み出す職人だとしたら、陽介さんは支える職人。マネジメントやお金の管理、仕入れや業者間との話など、怜さんのパフォーマンスが100%発揮できる環境を作るのが役割だという。だからといって、どっちが何をするかは明確な線引きはなく、そんなことは言葉にしなくても通じている。

「一緒にお店をやるって決めていたんですから」(ふたり)

 

四季の彩と豊かな恵みをイノベーティブ・フュージョンで伝える大切なココロ

ふたりの思い出も経験も、すべてはこの瞬間のために。2023年6月、怜さんと陽介さんのお店『SAISON』がついにカタチになった。店名の由来通り、提供する料理は春夏秋冬を感じさせる食材を用いたイノベーティブ・フュージョンのコース一本。食材の美味しさを飛躍させた調理方法は、ビジュアルから五感を刺激するエッセンスで満ちあふれている。つまり…ソソるワケである。カウンターのみの空間は調理風景が見えるようなL字型をしていて、怜さん陽介さんのパフォーマンスを見ながら、言葉を交わしながら楽しめる空間であることが分かる。イノベーティブ・フュージョンの装いを見るとハイクラスな印象だけど、実はそんなことはなくて、営業スタイルにおいてはパリやニューヨークそのままのスタイルである。

「コースメインとバータイム、営業スタイルはふたつ考えています。この街でカルチャーを浸透するには、街に生きる人たちと共に呼吸をしながら独自のスタイルを伝えていきたいと思いますし、だからと言って礼儀のある距離感を大切にしないといけませんよね」

食と向き合うコト、街と向き合うコト、どちらもふたりが歩んできたそれぞれの道がそのまま現れている。その表現ひとつを見ても懐が深くて器の大きさを感じるのは、世界の最先端と新潟のローカルを掛け合わせている独特の波長を奏でているからだろうか。

「まぁまぁ、まずは肩の力を抜いて食べてみてくださいよ」(ふたり)

驚きとか感動とか、そんなコトを通り過ぎた先に、
まるで心が凪になるようなフードカルチャーがココにある。

幼馴染のふたりは2023年に新しい道を歩み始めた。
もっともっと仲睦まじく、羽ばたいていくに違いない。

イノベーティブ・フュージョンもいいけれど、
美味しいサンドイッチ、作ってくれません?

「近くにコンビニありますけど、とびっきりのサンドを作りますね!」
感謝感激!感無量です!

 

ミドルミス怜さん

新潟市出身。ご両親は日本人とイギリス人のためか、二国のカルチャーを肌で感じながら幼少期を過ごす。新潟の居酒屋『天晴れ』『デンジャラスチキン』の後、フランス・Paris『クラウンバー』では渥美創太氏、アメリカ・NY『ブランカ』ではCarlo Mirarchi氏のもとでイノベーティブ・フュージョンの最先端を経験した。

 

齊藤陽介さん

新潟市出身。厳格かつ器の大きい両親のもとでスクスク育つ。新潟の居酒屋『デンジャラスチキン』にて店長に就任し、居酒屋のいろはを習得。唐揚げの調理は自信あり。『SAISON』では主にマネジメントや仕入れ関係について担当している。

SAISON
新潟市中央区西堀前通4-739
18時〜コース料理スタート※21時以降はバータイム、日曜休、予約はInstagramのDMのみ
Instagram

 

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