日本全国それぞれの土地に根付いた民藝がある。各地域の伝統文化、気候、芸能、暮らし方といった特徴を感じられるプロダクトがあり、芸術品クラスのものから実用的で使い勝手の良いものまで個性豊かだ。貴重さのあまり触れることができないものもあるが、実際に持ったり使ったりすると、民藝は暮らしの中でちょっとしたステータスを確立していく。

「新潟って実は各地それぞれの焼き物があって、地道に作家活動をしている人がたくさんいるんですよ。とはいっても業界は後継者不足ですし高齢化も進んでいますし、活動を続けていくために経営も大変。お客さんのニーズも変わってきているし、いや、ニーズっていうかみんな食器とか焼き物って、結局のところ大量生産されたものが意外と頑丈でシンプルなデザインで使いやすいですよね。そうなっちゃうとねぇ、ですよ」

阿部久美子さん、作家名『押味くみこ』さん。見るからに奥深い作家らしいオーラをお持ちである。話をしていると阿部さん、押味さん、と混乱してしまうのだが「どっちでもいいですよ」である。リフォームして生まれ変わった『もえぎ陶房』は、陶芸教室用のロクロや陶芸に使う道具、バラエティー豊富な器、色も形もさまざまだ。プライスカードを見ると「この値段で大丈夫なのか?」と心配してしまう安さ。

「高い!と言われるから安くしたというか。もえぎ陶房にお越しいただいたので、ちょっとおトクに買えると嬉しいかなと思ってもらえたり、そういう値付けなんですが、安すぎますか?」

そして、目を疑う光景も入ってくる。なんと、神棚に新潟市東区出身の全国区著名人でレギュラー番組も多数持ち、覆面レスラーとして名だたる選手と対戦したり、主宰のイベントもあったり、そして金型会社の社長でもある坂井氏いやいや、スーパー・ササダンゴ・マシンのグッズが崇められているのだ。気が付けば阿部氏、もとい押味氏が着ている服が…ササダンゴ商会(オフィシャルグッズ)のものだったり、ステッカーやら、DVDやら、あらゆるグッズが神様と同じところに祀られていて…。

「大ファンなんですよ。直筆サインもありますし、もえぎ陶房にもロケできてくれたり。お会いした時なんて、ありがたやありがたやですよ」

マジで崇拝である。

 

代々受け継がれる技術は時代の波に乗って

新津焼西潟本家もえぎ陶房の前身、西潟製陶所は1858年に誕生した。すり鉢や湯たんぽを作り、時代の変化と技術の進化に合わせるように、昭和の時代には植木鉢や煉瓦などを作っていた。地元新津の土を使ったこれらの焼き物は新津焼と呼ばれ、その技術は代々受け継がれてきた。そして5代目になったところで後継がいないこと判明。新津焼の歴史と技術を絶やしてはならないと、阿部さんは強く思い始め、6代目として後を継ぐことを決意した。陶芸家・押味くみこの誕生であった。

「西潟製陶所は母の実家です。江戸時代から続いている窯元が5代目で途切れてしまうって、とても悲しいことですよね。日に日に5代目の引退が近づいていく中で、私が継がないと火が消えてしまう。20年ほどの作家活動を続けてきましたが、6代目となることのプレッシャーは…最初はありませんでしたが今まさに感じていて大変です(笑)」

新津焼を復活させることの第一歩は陶芸教室から。作家活動時代からのお客様もいて50人ほどの生徒がいた。また、旅行関連のWEBサイトや地域メディアに載ることで少しずつ名が広がっていった。若い人からマダムまで、幅広い年代の人たちが新津焼に触れて、土をこねて、器や茶碗を作った。

「陶芸体験を通して新津焼きを知ってもらうきっかけになればいいなと思っています。もえぎ陶房には何種類でしょう…いろいろなタイプの新津焼を置いています。カラフルなものからシックなものまで、ほら、パンダちゃんもあるんです」

100年前から受け継がれてきた釉薬、型を現代にアレンジ。時代が変われば暮らし方も変わるように、新津焼もその波に乗っていく。パンダの酒器は笹祝酒造(新潟市西区)とのコラボレート商品でもある。新津焼、プロレス、パンダ…次はなんだろうか。

 

リブランディングへ向けて歩き続ける

なにせ1人なワケだから人手不足である。陶芸教室の運営、作品と商品作り、土の調達と、店舗のディスプレー、すべてのことを全力で取り組んでいる。体も心も日々消耗している。ハードな日々を過ごしていると、体調の変化に気がついた。

「ちょっとねぇ、よくないことが分かったんですよ。このまま治療しないままでいるよりは、このタイミングでちゃんと向き合って治すことにしました」

そんな中、とある補助金を活用できる話が舞い込む。新津焼の進化を加速させる、ずっと構想に描いていたリブランディングが実現できるチャンスだ。朦朧としながらも申請書を書き、美味しいものと日本酒でエネルギーを蓄えながら構想を練り、フラフラになりながら接客から商品作りもこなし、いい意味で飛んでいた。

「採択されて嬉しかったです。新しい新津焼を目指して気合を入れたいのですが、治療と陶芸教室と、もろもろを同時進行しているため大変!とはいっても私がイメージしていた新津焼ブランドが表現されようとしているプロセスを感じていると…楽しいはずが、まぁ大変」

新津焼はシリーズ化することで分かりやすいブランド構築を目指す。縁起物として七福神のオブジェを作ったり、伝統技術を受け継いだクラシカルなものであったり、ポップなもので手に取りやすいものであったり、今だからこそ求められるストーリーを感じるラインアップだ。また、新津焼を捉える角度も絶妙に変化させる。それは、俯瞰して歴史を見ることで伝えなければならない新津焼の使命と知られざる価値の表現、質感のリアリティさにおけるビジュアル、そして、この先を見据えた適正なプライシング。作家として、経営者として、体現していく。

 

6代目の物語が今まさに始まろうとしている

心折れることは何度もあった。嫌なことだったり、一方的におかしな要求をされたり、話をしているのに相手が被せてきたり、規格外の人が訪れてきたり。そんな変人たちとのコミュニケーション力を上げていくにつれ、押味さんはまるで悟りの境地の如く、パッと花開くように、解き放たれた。

「やりたいことをやるって難しいですよね。人間関係とか、取り巻きとか、時にはノイズも入ってくるし。すべてを頭に入れて解釈していたらパンクしますよね。接客は丁寧にしつつ、変人には右から左、そうやってセルフコントロールをしています。もう、美味しいものを食べるしかない!がんばる!」

時々、弱気な言葉が出てくる押味さん。見るからに優しさ1000%だけど、実は骨太で内なる強さを持っていて鬼と化すこともあると感じてしまう。経営についても絶妙なキャッシュフロー・マネジメント。なんとかなるさ、と言っていても計画的であって、当たり前のことを当たり前に行っていた。

新津焼西潟本家もえぎ陶房6代目押味さんは、

アダプテーションさせていくことで、

民藝として、代々続く新津焼として、しっかりと継承している。

「縁起物の新津焼の、大判焼シリーズもいいですよね。食べる縁起物とか食べる新津焼って(笑)」

そっちか!

 

押味くみこさん

東北芸術工科大学大学院を終了後、新潟へ戻り、叔父が経営していた有限会社西潟製陶所内に「もえぎ陶房」を設立。5代目が引退するタイミングで西潟製陶所を閉所し、6代目襲名のタイミングで「新津焼西潟本家もえぎ陶房」に改名、法人化した。陶器販売や陶芸教室のほか、時々イベントも行っている。

新津焼西潟本家もえぎ陶房6代目
新潟市秋葉区滝谷本町2-5
金曜・土曜10時〜18時
090-8252-1856
https://niituyaki.jp
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